作ってはいるのだがなかなか完成しない症候群と闘うオレの日々。とか書いているがそんなに闘ってねぇなとは思うんだな。

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けいじ

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日々是ダラダラと。

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被災地にいってきました。
Category: 雑記  
6月1日の話です。

商工会青年部で被災地の商工会青年部との以前からの交流があったので
以前より何かできないだろうかという話し合いを何度かした後に

山田の青年部が1日に通常総会をすると言う事なので
その後で遠野の名物のジンギスカンを振舞おうという事になりました。

夕方5時頃に出発。
笛吹峠を越え、大槌から山田へ入る事になりました。
普段ほとんど交通量もない笛吹峠ですが、大槌側からの交通量が非常に多く
自衛隊の車両、大型のトラックなどなど、すれ違うのも大変でした。

峠を下ると、仮設住宅がチラホラと出来ていて、
そこを過ぎると被害の模様がだんだんと…

まだ海からはかなり遠いと思われる川沿い。
田んぼの真ん中に瓦礫や車。
半壊した家屋。

テレビで見てはいたけど、こんなに近くで見るとまったくの別物です。

さらに国道45号に近づくに連れて、半壊が全壊に。
そして家屋は土台のみに。

鉄骨で出来たチェーン店の薬局も屋根を残して中身がなかったり
もう言葉では言い表せない。

大型バスの上半分がなかったり
意味が解らない。

被害を受けなかった家と壊滅した家がほんの少しの高低差だけで隣どうしになっていたり。

15メートル近い高さにきれいに積み上げられた瓦礫

大槌は県内で一番瓦礫の撤去が遅いと言う話を聞いている。

実際、次に入る山田町より撤去されていない瓦礫の数は多いと感じた。

そして、大槌の波板海岸の波が津波によって流された波消しのためのテトラポットやら
が無いために、台風でも来ているんじゃないかと言うくらいの高い波で怖かった。

山田の街中は狭い国道の両端にぎっしりと建物が建っているイメージがあって
すごく圧迫感があったんだけど、

なにもなかった。

本当に何も無かった。

コンクリで出来た建物は火事で燃えたのだろう、真っ黒にススが付いていたし
もちろん中身はない。コンクリートのハリボテだ。

そういうのがポツンポツンと残っているだけ。

そして集合場所である高台にある大きなテントに到着。

まだ総会が終わってないのでしばらく町並みを眺める。

目の前にある3階建ての建物の屋上の鉄柵が内側に向かってひしゃげている。

なんだろう…。

よくわからない。もやもやする。

4月に来た事がある人が居て。その人曰く、だいぶきれいになったと。

その頃は家の土台の上に瓦礫があって、色んなものがグチャグチャだったと。

そう言われてみればそうかもしれない。

匂いも海の匂いしかしない。


6時半くらいになって
山田の青年部との交流会が始まった。
TBSや、読売新聞の人がいて
色々と取材してた。

色んな話をした。

楽しかった。

初めて会って、初めて話した人たちだったけど
歓迎してくれた。

短い時間だったけど
行って良かったと思った。

外は真っ暗だった。
街灯もほとんどなくて、
遠くの信号がポツンと見える程度しかない。

帰りは釜石を通って帰ることにした。

高さが5~6メートル、厚さが3メートルくらいある防波堤が
思いっきりぶっ壊れて真っ二つになってる横を通ったりした。

釜石市内もゴーストタウンだった。
真っ暗だった。

ここも他の所同様に無事な所とそうでない所の差が凄かった。
釜石駅前から遠野方面は街灯もあるし、いつもと変わらない感じ。
多少暗いのを差し引いたとしても。

そして仙人道路。

地震のせいで道路の段差が大きくなっていた。
釜石側の入り口付近はアスファルトの敷き直し工事してたし、やっぱり歪んだんだろうなぁ。

遠野に帰ってきて思ったのは
遠野って被災してないなぁ
って。



初めて見た被害の状況は
もう、なんというか
文字だけでは伝えられない。

あれを見た後で、昨日の夜中のちょっとした余震でも
うわっと思って目が覚めた。

初めて地震を怖いとおもった。

興味本位で見に行くようなものではないと思った。

あれは1度見たら忘れられない。

知っている土地や風景ならなおさらだ。
受けるショックは並大抵のものではなかった。

そしてそこに生活してる人たちは、
なんでこんなに強いんだろうなぁと思った。

で、書くべきか書かざるべきか迷った。

乱文なのはわかってるし
乱文にしかならない。

でも何か残したいなと思った。


Comments

ご苦労様でした。
記事を読んだという意味でこのコメントを入れさせてもらいます。
ありがとう。

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